続よねかえる日記~47の素敵な煩悩~

なんキニ!が好きだったりAKB48チーム8が好きだったり

峯岸さんとの15年の握手を終えて

さりげなく終わらせた15年。


■峯岸さんとの15年の握手を終えて


21年2月11日でAKB48での峯岸さんの握手会は全て終了となったわけでした。
握手会といえばAKBの今や根幹、屋台骨であるわけでせっかくなので少し振り返ってみることにしました。15年老害の戯言にお付き合いください。

 

峯岸みなみの15年は長すぎる


峯岸さんをどう見るかという分析。どの時代でどう分けられるの?って別に人の人生なので根本的に分けられるものなどはないのだけど、15年は長すぎるので、少し分類してみました。


1:AKBが出来て間もない時期、JCからJK初期。
2:AKBが飛躍していった時期。超絶大人気国民的大人気だった時。
3:坊主になった時。チーム4だった時。
4:チーム4の時代が終わりチームKになった時。
おおよそこの4つの分類が出来ました。

 

これをAKBそのものに重ねると、

 

1の頃はAKBも「何でもありの時代」でしたね。生き残るのに必死で、握手会自体もとがちゃんが言っていたけど割と渋っていた時期。「どうしても」の時にやるものって感じでした。握手券もループやら保全やら大変だったなーと。とはいえヤマギワソフトに当日朝8時に行けば変えたような時代でもありました。

 

2の頃は皆さんご存知、総選挙やらキング移籍やらで「大繁盛していた時代」でした。2009年頃から2012年くらいですね。握手会も原宿での大行列の反省をはじめシステム化されて、今の握手会フォーマットが作られていきましたね。全国握手と劇場盤という概念も整理されて。同時に全国開催も普通になったわけで。

 

3は2013年2月1日辺りなのだけど、この2013年あたりからあっちゃんが卒業したり、徐々に「風向きが変わりつつあった時代」でしたね。本店一強の時代から支店共存の時代。さらには46勃興でヲタクが割れて行った時代。「総選挙」が少しずつ色褪せて行って、握手会も少しずつ時代遅れ感が出てきた頃でした。

 

4は2015年の春の人事異動、これも今に近しい形のチームを作った頃。この頃になると本店の凋落・弱体化というのがそれなりに目立ってきた頃でした。世代交代がなかなかうまく行かなかったのもあったんだろうけど。停滞感が目立っていた頃でした。

 

少し逸れたけど、それを性格面で峯岸さんに再度当てはめると
1:クソガキの時代、やんちゃな反抗期の時代
2:絶頂期、天狗の時代
3:人生の反省の時間
4:怠惰な時間
てな表現になるかとは思う。

 語弊があるのは承知。むしろ語弊しかないとか言われそうであるw
それぞれにそれぞれなりの特長というか性格的な尖り方とかあったものでしたよ。
少なくとも僕の感じる範疇では。

 

 


■握手のエピソード的なもの


こうやって分類すると結構スッキリするものがあって、色々と思い出すことができた。ブログやmixiに残した記録をたどると、あんなことこんなことがあったなあとしみじみ思い出せますね。
まず1の頃。

 

●1:クソガキの時代、やんちゃな反抗期の時代

この頃は本当にクソガキ。ksgkと書いてクソガキと読むあれ。反抗期でもあり、口が達者でまあ喧嘩っ早い感じ。今も本質は変わらないんだろうけど(笑)
「劇場盤」という名前は劇場で握手会を行っていたからその名がついてるのだけど、握手会も劇場内で図の赤部分にメンバーがいて、青部分にヲタクが並ばされていたのですよ(上手下手逆だったかもしれないけど)。

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そこで「(2つ隣に居る)なんで小林(香菜)なんかのところに行くんだ」みたいな峯岸さんからのやかり()とか、「小林みたいなバカと一緒にするな」発言とかバチバチにやってましたねー。苦笑いされる古参(くそ)の方も多いのではなかろうかと。
07年頃なんて小林もおバカキャラで売ってたわけではないにも関わらずですよ。AとKもバチバチだったし。小林も元センターという立ち位置だった頃の話。。。

ループとか列保全とかこの頃からやっていたよなあ。
まあ本当に年相応のクソガキでしたね(笑)。

 

そんな頃07年夏、わいは当時勤めていた会社で人事異動があり、昇格すると遠くに飛ばされるという日本企業的なよくあるそれに乗ってしまい、多分遠くに飛ばされるだろう・・という時期がありました。
令和の時代のように公演の当落が数日前に分かったり、握手の予定を数か月先まで分かるような状態ではなかった、ほぼ2,3日先までの予定しか見えないようなことばかりなこの時代、「地熱のある街秋葉原」から距離が出来れば出来るほどヲタ活が出来なくなる・・という時代でした。

 

そんなわけで「来月以降もう遠くに飛ばされてこれなくなるかもしれない」という話をしに行った「僕の太陽」の握手会だったのだけれども、
「もう来れないの?」
と、思った以上に深刻に悲しんでくれたことがあったなあと思い出したのでした。

 

自分本位で「並ぶ奴が減る!」って思っていたのかもしれないけど()、あの時はちょっとは自分の存在もあったものなんだなと悲しんでくれたことに嬉しかった記憶がありました。
子供ながらも気を遣ってくれたり心配してくれたりしたのかなーと。日頃口は悪いけど(日頃口は悪いけど)優しい子なんだなあと。

 

結局異動はしたけど、東京から約100キロ程度だったのでヲタ活は続けられることに。他が500キロ800キロと飛ばされていった中、よく残ったなあと今でも思う。
まあその時にヲタクやめていればとも思うけども(涙)

 


●2:絶頂期、天狗の時代


天狗と書くと印象がとても悪いのだけど、峯岸さんに限らず結構なメンバーが対応適当な時代もあったとは思う。だけどそれは本人が云々というより、仕事が糞忙しかったんだろうなと。

 

SKEがようやく出来た頃でAKBもチームBが独り立ちして4が出来るかどうかみたいな研究生が・・みたいな頃は本当に忙しそうで忙しそうで、握手会も楽しいことは楽しいのだけど、本人たちも消耗しているなーというのが良く分かっていた頃。
あっちゃんとかよく休んでいたもんなー。そりゃそうもなるけどな。
良くも悪くもメンバー皆に変な噂がいっぱいあった時代でしたね。
柏木ちゃんとかSKEの松井さんが握手で注目されたのもこの頃ですね。

 

この頃2009年3月にノースリーブスのリリイベで大阪や名古屋に行ったことがあった。大阪はごましおとてっちゃんと千里中央のセルシーに行って最前座ったりしていた懐かしい思い出がある。
名古屋は梶原さんと一緒に行動していたのだけど、ノースリーブス2部構成の握手会でこじはるがインフルエンザで2部お休みになったこともあったなと。

 

あの握手会は3人並び(1枚で3人順番に握手が出来る)の握手で、あの時峯岸さんも既に相当体調悪そうで、休みたそうな雰囲気をめちゃくちゃ出していたけど、たかみな1人にするわけもにいかず、姉のこじはるが休みで欠ける中自分も休むわけにいかないという根性だったのか、かなり必死に生きていた記憶がある。
手汗が変な感じだったというmixiという古文書の記述があり、多分手汗多めの峯岸さんも相当手汗かいていたのかあるいは手が熱かったのか冷たかったのか。

 

それで負担をかけないように適当な話題でということで、「今夜(梶原さんと一緒に)食べる夜ご飯は味噌煮込みうどんとひつまぶしどっちがいいと思う」という極めて適当な話題を振って、さっさと終わりにすることにした。「ひつまぶし」という答えで、まあホントよく頑張りましたよってくらいの労いと共に、「タネ」のリリイベラスト名古屋を締めくくった記憶がありますね。峯岸さんはその翌日だか2,3日で結局インフルエンザになったんじゃなかったっけ。「身体は丈夫な方(メンタルは豆腐)」とか自認していたはずだけど、ほんとお大事にという感じだった。

よく頑張ってましたよ。あの時。

結構な「根性」をストレートに感じた握手だったなあ。

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なおその夜は結局きしめんを食べました。

 

 

●3:人生の反省の時間


2012年、テレビの企画ではバク転は出来なかったけど、生誕祭にこじはるやたかみなが来てくれて楽しそうにしていたチームBでの生誕祭。そんな12月から一転2013年は1月末2月頭で文春に載ってしまい坊主になるという、AKB史上に燦然と残る黒歴史を書いてしまったこともありました。

 

その直後というかその後最初の握手会が2月2日でした。

 

幕張メッセに挨拶用朝礼台みたいなものが作られていて、その頃よくあった「発表モノ」「謝罪モノ」をするんだろうなとはすぐに予想がついたので、ヲタク20人くらい雁首揃えて応援の声出しに行ったりしたなあと。

 

 

その後は握手では

☆5部峯岸:後ろ係員なし
*注:本握手会からアイドルのすぐ横に緊急用係員呼び出しボタンが設置されました。通報されるとすぐ来ます。

よ「ちょっとさー最後に言っておくけど、峯岸はあとから坊主にしたけど、結果俺が真似した坊主みたいになってるじゃんかよ!!」
み「(゚_゚...」もう一度見上げて「(゚_゚...」。「・・真似のレベルじゃないよね?(薄笑)」
よ「!!!!!!」「!!!!!!!」「。・゚(゚`Д)゙。゜」(係員を見て)「ねえちょっとこのボタン押していいですか?」「僕アイドルに傷つけられたんでこのボタン押していいですか!?」「ねえ、ねえ押していいですか?!」
み「あ、それちょっとホントに偉い人来ちゃうから今日は←止めて」
よ「いや、押すだろ、これは(>_<。)」
はい、おじかんでーす。

 

と、やっていたようです(古文書よりコピペ)
心は死んでないなと思った瞬間でした。
ヲタクは努めて普段通りにしようねとその20人くらいと約束して握手していた日。
いつだってヲタクは道化師だね。

 

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*雲行きの怪しくなった1月30日に花を差し入れたらしいわい。

*その夜に飲みに付き合ってくれたmmrst氏(なんだこの瓶)

 


●4:怠惰な時間


2014年初代峯岸チーム4から2代目峯岸チーム4になって、大分のチーム4ツアーで生誕祭やったり劇場でももう一回やったり、色々あったけど、15年の春の人事異動でKにされてからは結構止まった感じになった(主観)

 

峯岸さんも22歳。そうわちゃわちゃする歳でもなくなり、傷ついたこともたくさんあったせいか注意深く大人しくなり、同時に酒のせいなのか顔が丸くなっていってるのはヲタクで良く把握しておりました。
この辺りになると握手も年齢的にはそりゃそうなのだけど、いい意味で大人の対応なので、わちゃわちゃしたい人にはそういう対応、マジで語りたい人にもそういう対応、共感してもらいたい慰めてもらいたい人にもそういう対応。

 

きちんと満足できて読める感じになっていました。
もちろん朝は弱いし、昼前は空腹でやる気減ってるし、昼飯後は眠そうだし、夕方は帰りたそうな雰囲気だしていて、全国握手は見るものはないって言われていたのも変わっていなかったけど。

 

そういう意味では「保全」だったなあと思う。この時期はエイトの子が成長著しいのもあって面白味で言えば間違いなくそちらだったのもあるし。
でもこれは峯岸さんに限らず、長年アイドルやってる子は大なり小なりみんな「話題がなくなる」って意味では同じなんだろうけどね。
小ネタに走るという感じかな。
この頃くらいにヲタクとして握手始めた人はこれが楽しくてよかったのかもしれないけど。まあそれもまた人生だからな。

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そんなこんなとまた別のことも含め嫌になって離れて行ったわけだけど、峯岸さんのここ数年にとって一番良かったことは「禁酒」だったんだろうなと離れてみててもつくづく思う。
酒は嫌なことを忘れさせてはくれるけど、なくしてはくれないので現実逃避にしかならないし、頭の回転は鈍るし、コンディションも悪化しやすくなるし。

 

禁酒してからようやくネガティブな要素がなくなった減ったように思えた。人生変わるものだね。

 

 

 

●最後の握手(握手?)


アラサー峯岸みなみになって禁酒した峯岸さんに1月にオンライン握手に行ったのがぼくと峯岸さんの最後の握手(握手なのか?握手ってなんだよ?)。
寝てたのも相変わらず過ぎてご愛敬ですわ。

 

同じ日、ぼくはぞのちゃんには「酔ってる?お酒飲んでる?」と疑われました。なんという伏線回収www
完全しらふです。飲むとバレるほどには顔が赤くなるので握手会の時は飲みません。

 

そんな僕でも最後には「幸せを祈ってる」と言えたので満足ですよ。「なんで今日優しいの?」と疑い100%でしたが。
素面の禁酒中の峯岸みなみは幸せになれる要素がたくさんあるから、早く幸せになればいいよ。ほんとそう祈っております。卒コン延期になって人生大きく狂ったのか変わったのか何とも言えないけど、よかったな。
禁酒してる峯岸みなみはいい女。
これは真実。
握手を通じて思った最後の感想な。
みぃちゃん頑張ったな!!みぃちゃんよくやったな!!(これ10回言うと...)

 

 


しかし、15年って重いな。
15年って重いぞ。