■生誕祭の思い出を自分で振り返る
峯岸さんが卒業したわけですが、在籍15年ですよ。
そりゃ昔と今じゃ全然違いますよね、ということでもうぼくの記憶がなくなる前に記録しておこうということで書いてみた。ぼくの振り返る峯岸みなみ生誕祭の記憶。委員長だった時もそうでない時も含めて。
●06年
06年の最初の生誕祭。そもそも06年は「生誕祭」というものをやるということ自体も始まったばかりだった時期。他の現場でも生誕はあったから、それを持ってきてAKBでもやろうということだったと思う。一番最初は増山さんだったんだよね確か。
06年はとにかくルールがない。ルールってなんぞやって感じだから何でも企画して何でも諮ってって感じだった気がする。いにしえのSNS、mixiでいろいろやったのとあとは総会とかそういう感じかな。
結局企画実行したものは
・ケーキ
・サイリウム
・ラベンダー
・横断幕
・フラワースタンド
・お茶
・チェキ帳
古文書を紐解くと、上記とのことのようだった。
ケーキはそもそも06年は「食べられるケーキ」を贈ってよいはずだった記憶。だから有名なケーキ屋さんで手配するのが主流だったと記憶してます。
でも食べられるケーキとは別に、食べられない背の高いものを急遽用意したとかそんな記憶。デカいよね(笑)ウエディングケーキかよっていう(笑)やりすぎだよなw
サイリウムは忘れたなあ。緑色のだっけ。
ラベンダーはラベンダーのドライフラワーを客席に置いて、曲中ペンライトのように振ってもらうとかそういうもの。もはや今考えると暴挙でしかないよねww ヤバいやつですわw 良くできたなあ(笑) 劇場内がラベンダーでいい香りがしちゃったという。掃除がめちゃくちゃ大変だったとのことで群ちゃんに未だにねちねち言われるし・・w
横断幕も公演の最前列で出すというもの。座り最前列でヲタクがそれぞれ持って。今じゃ出来ないよねー。抽選でも座り最前列が界隈のヲタクで占められるってそういうことができた時期でもあったんだよね(今はダメ)、そもそも持ち込めないよなw
フラワースタンドも花文指定なんてない時代だったから、結構有名な高いところだったはず。
あとお茶ですね。ガ茶。生誕の時のプレゼントは割とゆるかったからこういうのも出来たんだなと。差し入れ感覚。食べ物飲み物が普通に何とかできた時代。
最後にチェキ帳。いわゆるメッセージカード代わりに。一言で言えばヲタク図鑑だよね(笑)。ヲタク図鑑は本当に面白くて、チェキはアイドルが(orと)撮って渡すものだけど、逆にアイドルに渡したから深海魚図鑑みたいなものが出来たよねww
今から考えると、規格化フォーマット化されていない分、色々と出来たといえばそうだけど、正解とは何ぞやってなってたなあww
ある意味、やれることを全弾やり切っていた頃(笑)。それがいいかどうかはわからないけど。
随所で繰り広げられていたヲタク総力戦の一環だったといえばそうだったのかもしれない。
*記憶が間違っていたらご指摘ください。
●大量のサイリウム
今でこそペンライトのみ使用可になっている48現場だけど、2014年頃まではケミカルライト(いわゆるサイリウム)が使用できましたね。
複数持ったり、大閃光持ったりとか色々やってコンサートに臨んだ人も多かったのではないかと。
ぼくが生誕祭に関わった中では、2011年と2014年の生誕祭の時は2011年はOgi祭で2014年は大分チーム4ツアーでそれぞれ劇場公演とは別にお祝いサイリウムを使ってお祝いをした。
2011年Ogi祭の時はTDCホールの来場者に「私は私」の時に白いサイリウムを光らせてくださいというもので、その白いサイリウムはこちらで買って配布した。
2800本。約20万円(笑)。
白いサイリウムは本当に色が弱くて、黄青赤緑などの他の色に負けてしまうのです。
結構そういう感じだったけれども、でもそれも峯岸さんぽいと言えばそうかと思って自分で納得させたわけだけど、まさか10年経って卒コンの時に同じ見せられるとは思わなかったわwww 歴史は繰り返す()
でもOgi祭の時は本当に一番大変だったのは企画を通すときで、「ちゃんと出来る」と信頼させないとということとか、他の盛り沢山だった企画(ゲスト出演とか)との兼ね合いとか、そういうのも含めて出来てよかったなと思った。
あっちゃんの誕生日祝い(板野さんがケーキ倒した時)のサイリウム企画くらいしかこの時までに大型企画がなかったから、 信頼は大事なんだなあと改めて思ったよ。
それにしても白は根はかなり脆い峯岸さんぽい色なのかなとか、曲中そんなことをぼんやり考えていた気がする。きれいだったなあ。
まあ最後に全部終わって回収したサイリウムをまぐすさんが持って帰ってくれることになったとき、その車内で島崎遥香センターのアイドルなんて呼ばないでがDVDで流れていて、泡吹いたけれども。
14年の時の大分でのチーム4ツアーは、峯岸さんに色々あって(2013年)から落ち着いて、各チームでツアーをする中でそのツアー当日が誕生日という、これはこれで難易度が高かったものだった。
ぼくはこの時まで人生で一度も九州に行ったことがなかった(唐突)。
そんな何も知らない土地でそもそもお祝い的なことをやっていいのか出来るのかというのを、ヲタクと運営の人たちと色々相談してやった。
この時が実質最後でサイリウムを使うことができた最後の企画だった気がする。名入れしたサイリウムに団扇も作って大分まで送って遠隔地で生誕祭。
大分まで行ったのは確か40人くらいだったと思うけれども、そんな遠くできちんとやりきれたことにすごく感動した記憶がある。
アンコールの時からピンクのサイリウムを照らして「私は私」、その後の「心のプラカード」で団扇。名入れの出来るサイリウムはたかさんの発案だった気がするけど、いい記念になったなあ。団扇はちまこのデザインだったはず。
東京から1000キロ以上離れた知らない初めての土地に40人で展開して実施してごみ回収までやるという本当に総合力的なものがあったなあと。結構感慨深い思い出です。
全ツはのちに配信されたのだけど、心のプラカードの最後のいいところで団扇を抜 いてくれて、「そうなんです、こういうことなんです」となったのですよね。あれが僕たちの心のプラカード。
●メッセージカード
生誕と言えばメセカ(メッセージカード)ですが、これも48の隆盛具合と密接に関りがありますよね。
絵を書ける書きたいヲタクが何人もいたからどんどん書いてもらってカードの種類がたくさん増えた記憶(笑)。でもそれでいいじゃない。
回収する枚数も2010年頃は1500枚くらいだったものが、2011年には3500枚、2012年には5700枚くらいとどんどん膨れ上がっていった。生誕によっては10,000枚を超えたところもあったような気がする(神7の方で)
48Gの勢いがすごい時代でしたね。
時代的にも今2021年のようにTwitterやInstagramのようなSNSが流行っているわけでもなく、ましてやメンバーがそれを持っていた時代でもなかったから、おめでとうを伝えるにはこういう手段しかなかったんだよね。だからメッセージカードが大事だったという。
ところで皆さんご存知ないと思いますが、今2021年は休止中のリアル握手会ですが、あの場所に生誕ブースということでテーブルなどが用意されたのは、お兄ちゅん他がとがちゃんなどに相談したからです。それまではどこも野良でカード集めをやっていたので。
テーブルを用意してくれるようになったので、カード集めも場所が決まったりやりやすくなったけど、「運営が用意してくれて当たり前のもの」ではないのですよ。だからあんまり運営にやからないでね。あれは権利ではないから。
ちょっと話が逸れた。
伸びるときはめちゃくちゃな勢いで伸びたから、本当にびっくりしていたよね。ヲタク側でも。全国でファンが増えるヲタクが増える、それを数字で実感したわけだから。
5700枚集めた時は最終的に10,000枚カードを印刷した気がするのだけど、そういう世界だったなと記録しておきたい次第です。
売れるってすごい事なんだね。
あの時は本当にびっくりしていたし、何よりメンバーが大変だったと思うわ。
それがのちに支店を増やすことにもつながってくるのだろうけれども。
●今の生誕祭
どこの生誕祭がということではなく、一般論として今は出来ることも限られていてなかなか大変そうに見える。さらにはヲタクの数もだいぶ減っちゃったし。
エイトの界隈などは現存38人?のメンバーにそれぞれ生誕委員10人いて380人もヲタクがいるかというと全くそんなことはなさそうで、何か所も兼任していてせいぜい150人くらいが回していそうな気がする。
メンバーにとってはモチベをあげる一番のきっかけになることが多い生誕祭だけど、過去との比較でみると最早生誕というのも役割が終わりつつあるのかなと思う時があるのよね。
他方、新しい試みというのも何か生まれないのかなとも思う。
AKBは割と時代と一緒に歩んでいるところも多くあって、例えばAKBがはじまった2005年というのは携帯も3G(iモードは2Gからだけどスピードが速くなった)がようやく一般的になった頃で、SNSは本当に創世記だった頃。ブログの方が割と使っている人も多かったし(だから篠田麻里子に首ったけブログとかがすごく情報源として重要だったわけで)、時が経つにつれてアメーバピグたmixiやGoogle+あたりとも親和性が高かった気がする。こういう繋がりって結構大事だと思うんだよね。
今のようにTwitterやInstagramのように短文&画像系SNS隆盛の時代でのアイドルとヲタクとのかかわり方の最適解ってなかなか難しい気もするけれども、先日のコンサートであったようなデジタル寄せ書き横断幕や、5Gを使った多カメラユニット配信(アイルやヒュートーンの時にやっていたような)、エモリス?(コンサート背景LEDに文字で声援を送る)など、萌芽は出てきていて、あと2年くらいすると面白いものになるのかなと思ったりもした。
ただ割と閉塞感のある世の中になってしまったので、運営もヲタクも共々そこを突破できるのかなー、その頃までにAKBが存在できているのかなとは普通に懸念されることですね(苦笑)
生誕コミュ関係はヲ友達を作るには最適だし、実際これによって世界がぐんと広がったから僕個人的には大いに勧めたいけれども、昨今はお金の問題や仕切りの人の人格の問題など結構多いからこの辺りからして限界が近いのかなとやっぱり思ってしまうよね。明らかに本来的にはその器じゃないのがTOPだったりしてるからなあ。
でもあまり悲観しても仕方ないので、一般論的に「諦め」に近い感情が多くなってるように見受ける生誕祭が、身内だけでなくもっと広い視野で楽しめるようになる時、きっとグループも活性化するだろうなと今後も楽しみにしていますよ。
先述したようなこともたくさんの人と一緒になってやったことだし。
ヲタクだけで何百人規模で絡んで企画して実行したって。しかも会社組織とは異なって明確な指揮命令系統ではない中で理念だけでやるという状況の中で。
それがどれだけ面白い事なのかは実際飛び込んでみないと分からないし、飛び込んでも受け身じゃなくて、自分からどんどんやった方がさらにもっともっと面白くなっていくし。
そうやって面白くしたところに人は集まって増えていくし(その反面は言わん)。
たくさんのヲタクと一緒に生誕をできたことに本当に感謝しているし、またいつでも飲みに行こうな!って個人的には思ってますよ。15年間で色々やった中でも特にヲタクサイドとしてキラリ光る想い出だよ。ここで出来たヲタク人脈は本当に人生に大きな影響を与えてくれた宝物。
だから今後も何か面白いことやりたいねと思うヲタクが増えるといいな。
今後も何か面白いことをやってあげたいと思わせるアイドルも増えるといいな。
そうやって面白い企画が増えていくといいんだけどな。
とそう祈って乱文をとりあえず終わりにします。本当にまとまってなくてあれだけどw